google.com, pub-6886053222946157, DIRECT, f08c47fec0942fa0 日 光 讃 歌: 日光讃歌(78)奥鬼怒山旅 「温泉ヶ岳」

2014年2月6日木曜日

日光讃歌(78)奥鬼怒山旅 「温泉ヶ岳」







日光讃歌(78)奥鬼怒山旅 「温泉ヶ岳」



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金精峠から、西への縦走路の最高峰が端正な温泉ヶ岳である。
線の彼方までスッキリと見通せる。
古くは勝道上人が日光山を開山、今の奥日光に分け入って湯元温泉を発見し、その背後に聳える山に湯元温泉に因んで「温泉ヶ岳」と名付けたという伝承がある。

更に、「念仏平」という名称もある。
こちらは素晴らしい展望の地で、余りの夥しい山塊に当惑するほどでりが、遠くは北アルプスが白い曲線を描いて光っているし、奥秩父や八ヶ岳も鮮明だ。
西側には上越国境が屏風のようだし、尾瀬ヶ原と燧ヵ岳の双耳峰も見事である。
しかし、何と言っても眼前に日光の開祖で象徴ともされる、男体山(二荒山)が太郎や女峰を控えさせて泰然としてに畏まっている様は、正に王者の風格であった。
余りの素晴らしさに、我を忘れ、時のたつのも忘れ、所謂、忘我の状態になってしまうのである。

写真 奥日光の山々

自然への親和の情から自然への畏怖を生じ、更には、神聖なもの(絶対者・神をも含む)として信じ貴ぶことを芽生えさせ、己を昇華してしまう。
山への信仰とは、この様な状態の発露から発するものかもしれない・・?、

信心深かった昔の人が(勝道上人)、この山域は補陀落山(ふたらくさん)、即ち、観世音菩薩が住む山(補陀落浄土)として御山を開き、その象徴としたのが二荒山(男体山)であり、庶民の信仰の場としたのである。
麓にある二荒山神社(中宮祠・中禅寺)は、日光山内は元より、下野国一の宮として社殿を創建し、日光権現(千手観音)としてを祀ったものであった。
最後のピーク根名草山から、奥鬼怒の温泉場へ下山するようになる。


次回、 「奥鬼怒と温泉郷」








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