日光讃歌(9) 「鳴虫山」 .
鳴虫山案内図
鳴虫山は、日光市街地より南2kmにある山で、昔は大懺法山(だいさんぽうさん)ともいい、懺法とは罪を懺悔(さんげ)する儀式のことで、確かに、古くは日光の初期修行僧の参詣修行した山で、特に、冬季に修行した山であるらしく修行場の跡も、そこここに残っている。
そして、その下山最終の慈雲寺近辺へ至る行者道は、1200年前、勝道上人がたどった道でもある。
この山に雲がかかると雨になり、子どもの泣虫にたとえて「鳴虫山」と言い習わされてきたという。
大懺法山という名称は、明治までは「※三峰五禅頂」の内の冬峰の修験場の山として付されたもので、それらの痕跡として数多くの史跡が残されていて、この山に雲が掛ると雨が降ると言われ日光の里山的存在でもある。
※三峰五禅頂(さんぷごぜんじょう) とは、江戸期に再興された日光連山における修験者(山伏)の修験場であり、春夏秋冬の四季折々に行われていたらしい。
三峰とは冬峰・春峰、夏峰の三つを指し、五禅頂とは、秋に行われる修行も加えて総禅頂ともいい、五隊に分かれて行ったので五禅頂といわれる。
冬峰は、主に日光連山の南の山々で修行が行われ、
夏峰は、日光連山全体を経巡る修行であるが、余りの大難行のために中絶廃止されたと言われる。 2000メートル級の山が17座もある困難な夏峰修業は、室町期に廃止され近世の修験道再興時にも復活されなかった。
秋峰の五禅頂は北の山々で行われていて、5組が5回に分けて入峰したため五禅頂と云われたが、再興後は三組に縮小され「惣禅頂」と称し、総称して「両峰禅頂」とも言われた。
これらの修行を経験することによって、一人前の日光修験者として認められたといい、江戸期には、80坊と呼ばれる日光山の僧侶達がこの修行を行っていたとされる。
現在でも春・夏・秋年三回の入峰修行が行われているという。
また、日光の山々を望む好展望台であるとともに、時期になると稜線一帯、アカヤシオツツジと紅葉が美しく、日光八景の「鳴虫紅楓」にも詠まれている。
「日光八景」とは、1711年(正徳元)輪王寺宮・公弁法親王(※)が、日光山の名勝八景を選んで、つれづれに陪従の僧徒・坊官等とともに詩作を試みた物とされている。
※ 公弁法親王は、後西天皇(江戸時代の第111代天皇)の第6皇子で、後に天台宗僧侶となり、出家後、親王宣下を受け法親王となる。
日光山(東照宮、輪王寺門跡)の門跡、東叡山・上野寛永寺貫首、東叡山上野輪王寺門跡などを兼任していた。
公弁法親王の最大の逸話として、赤穂事件の裁量がある。
元禄15年(1702年)に起こった元禄赤穂事件では、公弁が5代将軍・徳川綱吉に赤穂浪士に切腹を命ずる決断を促したとする逸話が「徳川実紀」などによって伝えられているという。
次回、 「日光八景」
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