google.com, pub-6886053222946157, DIRECT, f08c47fec0942fa0 日 光 讃 歌: 81、日光の世界遺産;二社一寺 「東照宮神楽殿・神と人の概念」

2014年7月31日木曜日

81、日光の世界遺産;二社一寺 「東照宮神楽殿・神と人の概念」







81、日光の世界遺産;二社一寺 「東照宮神楽殿・神と人の概念」





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妻側の彫刻




ところで、神社とは神様が祀られているところであり、概して、所謂、鎮守の森というところに囲まれた閑静な地に鎮座しています。 
又、神社では鎮祭(例、地鎮祭)という儀式もあり、諸神を鎮め固めるための祭儀であるとしている。

我々は神社に参拝するとき、いろいろ祈願をします。 
無病息災、家内安全、交通安全、五穀豊穣、安全平和、等々、裏を返せば自然界はままならぬもので、人災、天災、争い事と後を絶たないのである。 
これらを、特に日本人は神の厄災と観るのであって、古代中世の人々は、この傾向が強く、特に、神に祈るとき、希望や願望は同時に、“厄災をおこさずに、鎮まってて下さい”という意味としている。
日本人特有の自然の神々が大元となります。

だが、“神様も偶には里に降りてきて、俗界の人々と意思を通じ合いましょう”と、したのが所謂、祭礼なのです。

神社は、定期的に神を来臨、降臨させて祭る儀式、即ち、神社の祭事が行われるのです。 
その中でも重要な要素の一つは、神にお供えものを献じることであり、祭(マツリ)という言葉は、マツル(献)から出たものだともいわれている。 
神に神酒・諸食を奉ることがマツリの原義なのです。 


祭礼の日のみ、日頃鎮座している(鎮まりかえっている)神が天下に降りて、こられて俗界と交わり、俗世間を伺い、庶民は神の霊力を直接戴くのです。 
そして、その代わりに、俗界の民は捧げ物を精一杯、神に授けるのです。


次回、日光東照宮 「神楽殿とお神楽」







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