日光讃歌(62)日光三山 「太郎山・太郎山権現」

太郎山権現を祀る山頂社、
太郎山は、日光の山々を代表する名山で、日本三百名山の一つでもある。
山容は秀麗で、戦場ヶ原からもその姿は良く確認でき、小さな山(・・?)の割には比較的変化に富んでいて飽きることがない。
特に、太郎山や小太郎山の頂上からは素晴らしい奥日光の展望が得られる。
山頂には、太郎山神社(太郎権現)が祀られている。
太郎山は、男体山、女峰山同様、日光山の山岳修験においても重要な役割を果たした山であり、山自体がご神体(太郎山権現)として登拝の対象となっている。
太郎権現は、男体山(二荒山権現)、女峰山(瀧尾権現)とともに、日光三所権現の一角をなしていて、現在でも、頂上には太郎山神社が祀られている。
元より、日光における信仰の歴史は1200年以上も遡り、山岳宗教・仏教・神道が入り交じった宗教的霊地として栄えていたことが、男体山の遺構などから判っているという。
勝道上人により開山された奈良朝より、既に、山岳信仰と仏・神への信仰が混じり合って信仰されてきたが、特に、平安時代後期になると本地垂迹(ほんじすいじゃく)思想が広まりま、理想の釈迦を本とし、歴史上に現れた現実の釈迦が垂迹であるとする仏教の発想が、仏と神の間で説かれるようになったのである。
つまり、仏が本地で、神が垂迹であるり、仏と神は同一であるとされた。
そして、鎌倉期になり熊野修験の影響を受けた三山信仰が広まると、日光三所権現(にっこうさんじょごんげん)信仰が体系化され、男体・女峰・太郎の山々を御神体とみるものであった。
この太郎山の現在の神は、味耜高彦根命(アヂスキタカヒコネ;大己貫命=大国主命の子) であり、神仏習合時は太郎山権現であり、本地仏は馬頭観世音菩薩である。 そして、里宮である社は、日光山の一角、日光市街地の神橋前にある「本宮神社」に鎮座している。
尚、父母神である男体山、女峰山の仏・本地、神・垂迹は以下のとおりである。
男体山 - 大己貫命 - 二荒山権現 - 千手観世音菩薩- 新宮
女峰山 - 田心姫命 - 瀧尾権現 - 阿弥陀如来- 瀧尾
これらの三仏(三神)は、日光山の大本堂である三仏堂(さんぶつどう)は、この日光三所権現の本地仏(ほんじぶつ)である千手観音・阿弥陀如来・馬頭観音を祀(まつ)る御堂なのです。
次回、女峰山・滝尾神社
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