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2014年7月31日木曜日

81、日光の世界遺産;二社一寺 「東照宮神楽殿・神と人の概念」







81、日光の世界遺産;二社一寺 「東照宮神楽殿・神と人の概念」





http://totitabi.ame-zaiku.com/nikkou/tousyougu/13/01.JPG



http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-e7-07/kassy1946/folder/1796569/27/53749627/img_2?1245372035



http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-e7-07/kassy1946/folder/1796569/27/53749627/img_5?1245372035
妻側の彫刻




ところで、神社とは神様が祀られているところであり、概して、所謂、鎮守の森というところに囲まれた閑静な地に鎮座しています。 
又、神社では鎮祭(例、地鎮祭)という儀式もあり、諸神を鎮め固めるための祭儀であるとしている。

我々は神社に参拝するとき、いろいろ祈願をします。 
無病息災、家内安全、交通安全、五穀豊穣、安全平和、等々、裏を返せば自然界はままならぬもので、人災、天災、争い事と後を絶たないのである。 
これらを、特に日本人は神の厄災と観るのであって、古代中世の人々は、この傾向が強く、特に、神に祈るとき、希望や願望は同時に、“厄災をおこさずに、鎮まってて下さい”という意味としている。
日本人特有の自然の神々が大元となります。

だが、“神様も偶には里に降りてきて、俗界の人々と意思を通じ合いましょう”と、したのが所謂、祭礼なのです。

神社は、定期的に神を来臨、降臨させて祭る儀式、即ち、神社の祭事が行われるのです。 
その中でも重要な要素の一つは、神にお供えものを献じることであり、祭(マツリ)という言葉は、マツル(献)から出たものだともいわれている。 
神に神酒・諸食を奉ることがマツリの原義なのです。 


祭礼の日のみ、日頃鎮座している(鎮まりかえっている)神が天下に降りて、こられて俗界と交わり、俗世間を伺い、庶民は神の霊力を直接戴くのです。 
そして、その代わりに、俗界の民は捧げ物を精一杯、神に授けるのです。


次回、日光東照宮 「神楽殿とお神楽」







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2014年4月17日木曜日

日光讃歌(88)  日光の地域







日光讃歌(88)日光の地域



http://cache5.amanaimages.com/cen3tzG4fTr7Gtw1PoeRer/25391001181.jpg
日光・湯西川地区


http://travel.eki-net.biz/jrnetsadm/image/facility/D02019_03.jpg
奥鬼怒温泉 露天風呂



足尾町は、関東地方の北部、栃木県西部に存在した町で、足尾銅山や松木渓谷で知られる。銅山全盛時の1916年には県内では宇都宮に次ぐ人口38,400人を抱えていた。
1973年の足尾銅山閉山後は、過疎化が著しい。
合併直前の人口は3,000人台となり全盛時の1割にも満たなくなった。 
2006年3月20日に、足尾町や(旧)日光市などの周辺自治体が合併し、(新)日光市の一部となった。

今市市は、江戸時代には、日光街道や会津西街道、日光例幣使街道今市宿の宿場町として繁栄し、現在も、日光へ至る鉄道は今市を経由する。
かつて関東地方の北部、栃木県北西部に存在した都市であるが、旧上都賀郡。2006年3月20日に、(旧)日光市や足尾町などの周辺自治体が合併し、(新)日光市の一部となった。

藤原町は、かつて関東地方の北部、栃木県北部に存在した町。
2006年に周辺自治体と合併し、新設された日光市の一部となっており、旧藤原町域は鬼怒川地区とも呼ばれる。
鬼怒川温泉や川治温泉などの温泉を抱える町であり、町名は「ふじわら」ではなく「ふじはら」と読む。

栗山村は、県内の自治体としては最大の面積を誇っていたが、周囲を険しい山々に囲まれており、過疎化が顕著であった。県内最後の村であり、この日以来、栃木県から村が消滅した。以前はダムで自立を目指していたこともあった。
2006年3月、藤原町、今市市、(旧)日光市、足尾町と合併し、新設された日光市の一部となった。

旧日光市は、古くは鎌倉時代以降、日光権現を祀る山々が知られるようになり、江戸時代に徳川家康および徳川家光の廟地となって以来、日光東照宮の門前町として参拝客で賑わった。以後「日光を見ずして結構と言うこと莫れ」という言葉で日本中に観光地・景勝地として知られるようになった。

明治時代に入ると、海外でも景勝地として知られていた日光東照宮や中禅寺湖、日光湯元温泉、などを外国人が訪れるようになり、外国人に対応した宿泊・滞在施設が整備され、国際観光都市としての体裁が整えられていった。

        







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日光讃歌(87)日光の自然と地域(Ⅱ)





日光讃歌(87)日光の自然と地域(Ⅱ)



http://www.sai59.net/GALLERY/E0902047267.jpg





最後に、先にも記したが現在の日光市は
平成18年の合併で
旧今市市、旧日光市、旧藤原町、旧足尾町、旧栗山村の
2市2町1村の合併により誕生し、
広域面積は国内でも有数の面積は、
高山市と浜松市に次いで全国第三位になっている。


この2市2町1村の地域でのエリアは、
大別して足尾地区(足尾銅山)、旧今市エリア、
旧藤原地区(鬼怒川・川治エリア)、旧栗山地区(湯西川・川俣・奥鬼怒エリア)、
それに旧日光エリアとして大別しているようだ。

何れも、豊かな自然環境と貴重な歴史的・文化的遺産、
随所に湧出する豊富な温泉など、恵まれた観光資源を基盤として、
其々、特徴ある地域でもある。



最終、日光讃歌;日光の地域






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日光讃歌(86)日光の自然と地域(Ⅰ)






日光讃歌(86)日光の自然と地域(Ⅰ)



http://www.tochigi-edu.ed.jp/furusato/uploads/72/099_04_3.jpg


http://www.asahi-net.or.jp/~su7t-umhr/YAMAdata/image/nanntaisan1_ksD.jpg
日光連山と奥日光の自然  
出典URL;http://www.asahi-net.or.jp/~su7t-umhr/YAMAdata/nanntaisan1.htm




日光の自然は、日光白根山2577.6m(関東以北の最高峰、日本百名山)、男体山2484.4m(日本百名山)、女峰山2463.5m、大真名子山2375.4m、小真名子山2322.9、太郎山2367.5mなどが連なり、その山域、山間に滝、湖、湿原、森林が織り成す変化に富んだ美しい日光の自然が織り成している。
これらは、男体山を中心に連なる火山によって形造されたとされている。

約2万年前の男体山の噴火によって流れ出た溶岩は谷をせき止め、中禅寺湖と古戦場ヶ原湖(最初は戦場ヶ原も湖であった)を造り、古戦場ヶ原湖はさらに軽石流の堆積と土砂流入で今日の湿原となった。
また奥日光にユッタリと聳える「三岳」の噴火は、湯ノ湖や切込、刈込湖を造り出し、更に、日光連山(火山群)は湯元温泉や奥鬼怒温泉郷など多くの温泉資源ももたらしている。

湯ノ湖から流れ出た水は湯滝を下り湯川となって戦場ヶ原を蛇行し、赤沼から流れは早くなり、竜頭滝を駆け下り菖蒲が浜で中禅寺湖に至る。 中禅寺湖を漂った水は華厳滝を落下し大谷川となり、日光市街で雲竜渓谷から流れ下ってきた稲荷川と合流、今市へと流れて鬼怒川、利根川となる。



次回も日光の自然と地域(Ⅱ)








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日光讃歌(85)奥鬼怒山旅 「奥鬼怒湿原」(Ⅳ)





日光讃歌(85)奥鬼怒山旅 「奥鬼怒湿原」(Ⅳ)




http://www5.airnet.ne.jp/nari/REPORT/2k08/080914/PM_045.jpg

http://www5.airnet.ne.jp/nari/REPORT/2k08/080914/PM_046.jpg




「日本で最も高い高層湿原」とされることが多いが、実際には鬼怒沼より高標高に位置する高層湿原としては、苗場山や五色ヶ原 (立山連峰)、平ヶ岳などが存在する。


鬼怒沼湿原へのルートとしては、奥鬼怒温泉郷からのルートが一般的で、女夫渕温泉から谷沿いの道をおよそ2時間歩くと登山口である日光沢温泉に至る。
ここまでの標高差は300m弱なのできつい事は無く、温泉を過ぎると暫くして一気に400m弱を登り切ると、オロオソロシの滝展望台があり、山の中をなだらかに流れる滝の姿が見える。
そこからは黒い溶岩にシラビソやコメツガが茂る森のなだらかな登りとなる。
日光沢温泉からおよそ2時間30分程度である。

又、尾瀬大清水からのルートがある。
大清水からのルートは急登コースであり、比較的荒れているためやや困難とされている。
他に、日光からのルートとしては、金精峠から念仏平、湯沢峠、燕巣山を経由するルートなどもあるが、余り一般的ではなさそうである。







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2014年3月17日月曜日

日光讃歌(84)奥鬼怒山旅 「奥鬼怒湿原」(Ⅱ)






日光讃歌(84)奥鬼怒山旅 「奥鬼怒湿原」(Ⅱ)



http://pds.exblog.jp/pds/1/200707/24/79/f0008679_454525.jpg

http://qga02666.web.fc2.com/0813_3031.jpg




彼の湿原植物群は、今は季節感の変わり目の時期で、来るべき白銀の到来を待ち受けているようだ。

本来なら、この地上は全てが満貫に彩られ、飾られ、華やいだ情景を造り上げていて、所謂、浮気な状態であった筈である。 

今は、それは過去のものでしかなく、全てが沈気に移り変わっているのである。 

だが、所々に新緑の水苔を見出した時、何故か、心が安らぐ。
これも、全てが自然の成せる技であろう。



春夏があり、秋冬がある。
 
大自然の輪廻は、次々と新鮮なものを演出してくれる。

特に、生物の世界においては、生きとし生きるもの全てが、輪廻の世界に殉じている。 

しかも、それ自体が自然であり、全うした生きる者が、枯れ死する瞬間こそ最も純粋な自然らしい姿のかもしれない。

枯れ死した草々も、未だ緑の水苔も、やがて次の季節の到来で、埋め尽くされるであろう。
しかし、それは来るべき時期の到来を約束するものでもある。

鬼怒沼の褐色に変色した湿原は、純な自然を我らに垣間見せているのである。



http://fromtochigi.up.n.seesaa.net/fromtochigi/blogCSS/DSCN2059.JPG%3Fd%3Da27
写;鬼怒沼木道









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日光讃歌(83)奥鬼怒山旅 「奥鬼怒湿原」





日光讃歌(83)奥鬼怒山旅 「奥鬼怒湿原」





http://jiyuseikatsu.web.fc2.com/wkinumapimage2.jpg

http://qga02666.web.fc2.com/0813_3031.jpg



奥鬼怒温泉から鬼怒沼湿原への途中に名瀑がある。
滝の名前は、「オロオソロシの滝」、何れもオソロシの滝、恐ろしい滝の イメージがあるが、指導標の示す方角を眺めてみると、鬼怒川源流の渓谷(既に小規模な沢になっている)を隔てて、糸を捩った(よじった)ような滝が見事である。 

ガイドブックでは、展望台前後は急勾配が続くとあるが、実際はさほどでもなく、また、勾配が緩やかになると直に湿原に到着するかのようにも記されていて、逆にこちらの記述は甘く、勾配が緩んでから湿原到着までは結構長いようだ。

因みに、オロというのは日陰の意味で、北斜面にかかっているからとか、ヒナタオソロシ
は日向のことで、南斜面のある滝らしい。 オソロシは恐ろしい・・?、かどうかは定かでない。

ジグザグを繰り返すうち、遂に木道が現れ、そして大樹の陰から突然として、突如として舞台の幕が切って落とされた如く、忽然としてその正体を現した。
待望の鬼怒沼湿原の大舞台であった。


それに、世界の天井が抜けたように上空は紺碧が一色で、それが無際限に広がり、吸い込まれそうな迫力を持って迫ってきているのである。
併せて、点在する池塘(高層湿原の池)群の水面も青に染まり、枯れ行く草原をいとおしんでいるようだ。





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2014年2月15日土曜日

日光讃歌(82)奥鬼怒山旅 「奥鬼怒・日光沢温泉」







日光讃歌(82)奥鬼怒山旅 「奥鬼怒・日光沢温泉」





http://livedoor.blogimg.jp/tabinozasshi/imgs/e/4/e411d2d1.JPG


http://fifabakutyouou.cocolog-nifty.com/nikkousannsou/images/2008/03/09/dsc04296.jpg


http://www.city.nikko.lg.jp/kuriyama_kankou/kankou/yunishi/onsen/okukinu/images/teshirozawa_000.jpg






奥鬼怒温泉郷には4箇所の温泉宿があるが、何れの宿も温泉は40~60度の上質の天然源泉が湧き、露天風呂とカンテラの灯りは正に仙境の湯場に相応しい。

素朴で人情味あふれる山小屋風の一軒宿は、風情があった。

温泉は単純硫黄水素泉、白濁、内湯は檜風呂。 野趣あふれる露天風呂が2つあり、微かに硫黄の臭いがするのも嬉しい。



本館の廊下越しのやや下ったところに男女別の浴室があり、そして、先ず独特の硫黄臭のする大きな内風呂があった。 

ここまでは普通の宿屋の風呂と変わりは無いが、湯舟に満たされている温泉は乳白色で、樋口から盛んに熱目の源泉が流入しているのである。


湯船に張られたお湯は60度前後あるらしく、確かに熱めであり仕方無く水で薄めるようだ。 

成る程傍に、「適当に水で薄めて調整してください」とメモがあった。




因みに、奥鬼怒4湯の中で一番鄙びていて、またどちらかと言えば山小屋の造りで、登山者、ハイカーベースの営業を行っているようである。 

そして、手白沢同様送迎を行っていないので、自分の足であるかなければならない。


加仁湯から沢沿いをさらに15分ほど遡ると、鬼怒川本流最奥が日光沢温泉で、鬼怒川本流と支流の日光沢が合流する二股の少し山手にある。


高層湿原として名高い鬼怒沼をはじめ、根名草山・温泉ガ岳、湯沢峠越え丸沼方面などへの登山基地でもある。



温泉、浴槽は別棟の湯小屋内に内湯と、そのよこに露天(混浴)が二つあり、日帰りでは露天のみ入浴可能。

露天は上段と下段にわかれていて、上段露天は無色透明のお湯でかなり温めで長湯向き。
下段の露天はコンクリ造りで10人程度の広さ、パイプ3本から源泉が投入され、にごり湯の掛け流しである。


ほぼ適温のお湯は、透明度40cmくらいの乳白色にごり湯で白い湯の花がただよっている。
深山の雰囲気あふれる中で、個性の異なる二つの上質湯を楽しめ贅沢な露天である。
内湯は白濁の硫化水素泉らしく、これが下段露天と同一源泉である。



次回、奥鬼怒山旅 「奥鬼怒湿原」








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2014年2月13日木曜日

日光讃歌(81)奥鬼怒山旅 「奥鬼怒温泉郷」







日光讃歌(81)奥鬼怒山旅 「奥鬼怒温泉郷」





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https://encrypted-tbn2.gstatic.com/images?q=tbn:ANd9GcTIt9idnQNOKUutoq7IO6a20Fg3lhAcXi95AEWDfvXjjWHwMopEww



http://www.food-travel.jp/images/kaniyu/CIMG5880.jpg





尚、日光方面から奥鬼怒へ向かうには、山王林道というのがあって、奥日光光徳牧場から川俣温泉までは付されている。

林道は、現在では全舗装されているが、川俣側の道は細く荒れており、すれ違い等ある程度の運転技術が必要である。 

又、台風等により道が崩れしばしば通行止めになり、開通時でも降水量に因り通行止めとなりゲートが閉じられるので注意が必要である。

ゲートは光徳側は光徳園地の先、川俣側は分岐の噴水橋から少し先にある。
山王林道の名は、林道が越える山王峠(1730m)からきており、山王峠付近の川俣側は、近年紅葉のメッカとして人気が高まっている。 

標高が高いため、日光エリアでは最も早く、10月中旬から下旬には普段は閑散としている道も車で賑わう。




標高1300メートルを超える温泉地は、気温差は平地から8度前後で、夏涼しく、色鮮やかな秋、白銀の冬となる。

点在する4軒の宿は個性的で泉質も異なる。鬼怒沼湿原を中心とする登山、トレッキングの基地として知られている。

泉質重視の秘湯ファンが多く訪れる温泉地であり、歩ける用意をして関東屈指の別世界を楽しもう。 
手白沢温泉を除く3軒は日帰り入浴で湯めぐりできる。


次回、 「奥鬼怒・日光沢温泉」










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2014年2月10日月曜日

日光讃歌(80)奥鬼怒山旅 「奥鬼怒と温泉郷」(Ⅱ)







日光讃歌(80)奥鬼怒山旅 「奥鬼怒と温泉郷」(Ⅱ)







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http://blog-imgs-54.fc2.com/h/a/c/hacchonoyu/hacccho047.jpg




奥鬼怒温泉郷の周囲は鬼怒川源流域にあたり、湿原と山、急峻な斜面を流れ下る川で構成されている。

北側の山中にある鬼怒沼は、奥鬼怒の最奥部にあり、鬼怒川の源流のひとつとなっている高層湿原で、日光沢温泉からの登山道が整備されている。

景勝地であるオロオソロシの滝、ヒナタオソロシの滝は、奥鬼怒源流域を代表する滝である。

オロオソロシの滝は、「日陰」(オロ)の「恐ろしい音がする」滝、又、ヒナタオソロシの滝は、「日向」(ヒナタ)にある「恐ろしい音がする」滝を意味するとされる。 急峻な山肌を流れ落ちる段瀑でもある。




実は、奥鬼怒温泉郷から尾瀬エリアへ道路が存在しているのである。 
だが、一般車両は乗り入れできない。

奥鬼怒スーパー林道がそれで、奥鬼怒温泉の八丁湯から奥鬼怒連山の鬼怒沼山の北側のトンネルを越えて、尾瀬の大清水に至っている全長16.2km林道で、平成5年に完成している。

しかし、地元の群馬県自然保護連盟は、林道の存在が自然環境を破壊しかねないとして反発、林道の建設目的に観光は含めないことで開通する取り決めがされた。


このため、林道自体は1993年に開通はしたものの、2010年現在も県境付近は一般車両の通行止めが続いている。(地元住民、土地所有者以外の通行には地元市町村長の許可が必要)

従って、入口の女夫渕温泉から先は許可車両のみの通行となり、現在は2軒の宿(八丁の湯、加仁湯)が宿泊者の送迎をしている。




次回、「奥鬼怒温泉郷」







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2014年2月8日土曜日

日光讃歌(79)奥鬼怒山旅 「奥鬼怒と温泉郷」






日光讃歌(79)奥鬼怒山旅 「奥鬼怒と温泉郷」





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http://travel.kuroneko-square.net/photos/2009/0823okukinu/20091204.jpg


http://img.47news.jp/PN/201302/PN2013022601001454.-.-.CI0003.jpg
た奥鬼怒温泉郷加仁湯の旅館






日光市域(栗山地区)で、最も奥まったところにある秘境が「奥鬼怒」(おくきぬ)である。
大自然は勿論のこと、関東でも指折りの秘湯どころで、人気ハイキングエリアの鬼怒沼(山頂湿原群)もおすすめである。
奥鬼怒温泉である四天王こと、四つの温泉宿は個性派ぞろいである。



奥鬼怒温泉郷

写;日光沢温泉

温泉郷のエリアは、鬼怒川の源流部付近にあり、一般に女夫渕温泉より先のエリアを指す。
秘湯巡りの観光客以外、鬼怒沼、尾瀬への登山客の利用も多い。
温泉宿は4箇所あって、手前より八丁の湯、加仁湯(かにゆ)、手白沢温泉、日光沢温泉とあり、いずれも一軒宿である。
これらをまとめて奥鬼怒四湯とも呼ばれる。

近隣には他にも温泉が自噴している野湯が多数ありらしく、天然記念物にもなっている湯沢噴泉塔などもある。
温泉が発見された時期は不明だが、古くから地元の人が利用していたらしく、温泉郷が形成されたのは昭和初期である。

温泉郷内の各宿に電気、電話が引かれたのが1986年になってからであり、それまでは各宿ともランプや自家発電の宿であった。
更に、交通アクセスも徒歩に限られ、容易に訪れることのできない秘湯である。
宿によって送迎(宿泊者のみ)しているところもあるが、徒歩の場合は、川に沿った女夫渕から遊歩道ハイキングコースを4.5km、約1時間15分程歩くことになる。



次回も、奥鬼怒山旅 「奥鬼怒と温泉郷」(2)









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2014年2月6日木曜日

日光讃歌(78)奥鬼怒山旅 「温泉ヶ岳」







日光讃歌(78)奥鬼怒山旅 「温泉ヶ岳」



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http://livedoor.blogimg.jp/jinriki_club/imgs/f/a/fa33fbef.jpg


http://my-shige.com/nenagusa09b.jpg







金精峠から、西への縦走路の最高峰が端正な温泉ヶ岳である。
線の彼方までスッキリと見通せる。
古くは勝道上人が日光山を開山、今の奥日光に分け入って湯元温泉を発見し、その背後に聳える山に湯元温泉に因んで「温泉ヶ岳」と名付けたという伝承がある。

更に、「念仏平」という名称もある。
こちらは素晴らしい展望の地で、余りの夥しい山塊に当惑するほどでりが、遠くは北アルプスが白い曲線を描いて光っているし、奥秩父や八ヶ岳も鮮明だ。
西側には上越国境が屏風のようだし、尾瀬ヶ原と燧ヵ岳の双耳峰も見事である。
しかし、何と言っても眼前に日光の開祖で象徴ともされる、男体山(二荒山)が太郎や女峰を控えさせて泰然としてに畏まっている様は、正に王者の風格であった。
余りの素晴らしさに、我を忘れ、時のたつのも忘れ、所謂、忘我の状態になってしまうのである。

写真 奥日光の山々

自然への親和の情から自然への畏怖を生じ、更には、神聖なもの(絶対者・神をも含む)として信じ貴ぶことを芽生えさせ、己を昇華してしまう。
山への信仰とは、この様な状態の発露から発するものかもしれない・・?、

信心深かった昔の人が(勝道上人)、この山域は補陀落山(ふたらくさん)、即ち、観世音菩薩が住む山(補陀落浄土)として御山を開き、その象徴としたのが二荒山(男体山)であり、庶民の信仰の場としたのである。
麓にある二荒山神社(中宮祠・中禅寺)は、日光山内は元より、下野国一の宮として社殿を創建し、日光権現(千手観音)としてを祀ったものであった。
最後のピーク根名草山から、奥鬼怒の温泉場へ下山するようになる。


次回、 「奥鬼怒と温泉郷」








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2014年2月4日火曜日

日光讃歌(77)奥鬼怒山旅 「金精峠と金精トンネル」





日光讃歌(77)奥鬼怒山旅 「金精峠と金精トンネル」





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金精峠と金精神社

http://userdisk.webry.biglobe.ne.jp/021/405/34/N000/000/003/131525891003913317575_konseitoge72.jpg
金精トンネル





金精峠は、元より日光山の僧や修験者たちの修行の場として開かれたといわれ、峠の頂上には金精神社が祀られていて、そこから湯ノ湖、戦場ガ原など奥日光が一望できる。

峠は、群馬県との県境にあり、温泉ガ岳 (2333メートル)と金精山 (2244メートル)の鞍部にあたり、金精峠の標高は2024メートルで、日光ではいちばん高い峠であり、これより群馬県側は片品村むら-となる。

 
1872年には、群馬県側の出資によって約18kmに渡る峠越えの道路が開削され、自動車交通以前には「日光道」として交易路となっていたという。



昭和40(1965)年には峠の下部、1850メートル付近に金精トンネルが完成し、日本ロマンチック街道とも言われ、道路はかつて有料道路(1995年無料化。普通車840円)であったことから「金精道路」という名称がつけられていた。




日光側からは、いろは坂を登り、中禅寺湖、戦場ヶ原、湯ノ湖の先に位置し、沼田方面の片品側は、片品村役場から丸沼、菅沼を通った先に位置している。

前後の区間には急なヘアピンカーブが続く場所もあり、山岳道路となっている。
寒冷な高地で積雪が多く5月頃まで残るため、峠近くはスノーシェルターで覆われ、冬季は完全閉鎖となる。

たびたび付近で雪崩が起こるため、春期に開通してからも一時通行止めになることがよくある。



次回、 「温泉ヶ岳








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2014年2月2日日曜日

日光讃歌(76)奥鬼怒山旅 「金精峠の金精神社と道鏡事件」





日光讃歌(76)奥鬼怒山旅 「金精峠の金精神社と道鏡事件」




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http://hobbyland.sakura.ne.jp/Kacho/tabi_yukeba/2008/2008_0923_Konsei/02_01.jpg


http://file.oldavg.blog.shinobi.jp/DOKYOTI.gif





奈良時代の神護景雲3年(769年)、宇佐八幡宮より称徳天皇(孝謙天皇)に対して「道鏡が皇位に就くべし」との託宣を受けて、弓削道鏡が天皇位を得ようとしたとされ、紛糾が起こった事件である。

道鏡事件とも呼ばれるが、同年に称徳天皇が詔を発し、道鏡には皇位は継がせないと宣言したため、事件の決着がついた。
この時、道鏡の陰謀を阻止するために登場したのが「和気清麻呂」であった。

清麻呂は、宇佐八幡宮に篭り、正規のご神託を得て、「皇位は、神武天皇からその皇孫(皇男子)が受け継ぐべきものである。 皇孫でないものが皇位が継ぐことはならない。」とした。 この万世一系の思想(継承権は永遠に同一の系統が続くこと、多くは皇統について言われる)が、現代にまで受け継がれているのである。 

現憲法下でも、「皇位継承は世襲のものであって、皇室典範によって細かく定められている。皇室典範第1条では皇位は皇統に属する男系の男子がこれを継承する」と記され、清麻呂の思想以上に具体的になっている。



直ぐ北側には岩肌むき出しの荒らしい金精山があり、今思えば尖がった山の姿が屹立した男根に見えなくもない。
尚、群馬県利根郡片品村にある白根魚苑の金精神社は、かつて金精峠に祀られていた石の男根の一つを移して御神体として祀っている。








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2014年2月1日土曜日

明治時代の日本・韓国・中国の国情;(明治期の旅行家・イザベラ・バードの実録)





明治時代の日本・韓国・中国の国情;(明治期の旅行家・イザベラ・バードの実録)



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日光滞在時のイザベラ・バード





イザベラ・バード(Isabella Lucy Bird)という人は、英国人の女性旅行家・紀行作家です。
生まれたのが1831(文政13)年、亡くなられたのが1904(明治37)年です。

彼女は、江戸~明治期のシナ、朝鮮半島、日本を紀行し、数々の写真とともに、当時の3国の状況を仔細に観察し、述べています。

彼女は、1878年(明治11年)6月から9月にかけて、東京を起点に日光から新潟へ抜けての旅をしました。

彼女の『日本奥地紀行』では当時の日本を結論的にこう書いている。

『 私はそれから奥地や蝦夷を1200マイル(1930km)に渡って旅をしたが、まったく安全でしかも心配もなかった。世界中で日本ほど婦人が危険にも無作法な目にもあわず、まったく安全に旅行できる国はないと信じている 』



特に、栃木から鹿沼市へ抜ける日光杉並木を観て、「よく手入れされた麻畑や街道沿いの景色に日本の美しさを実感した」と綴っています。


また日光で滞在した金谷邸では、その内外に日本の牧歌的生活があると絶賛し、ここに丸々2週間滞在したうえ、日光の景勝地を探訪しています。

日光滞在10日目に訪れた奥日光では、梅雨時の豊かな水と太陽に育まれた植物・・・

コケ、シダ、木々の深緑、そして鮮やかに咲き誇る花々が、中禅寺湖、男体山、華厳滝、竜頭滝、戦場ヶ原、湯滝、湯元湖を彩る様子を闊達に描写し、惜しみない絶賛を与えています。

街道の終点である湯元では、温泉を訪れている湯治客の様子を詳細に記し、その宿屋が

「たいへん清潔である」と評し、

そして

「ここは埃まみれの人間ではなく、妖精が似合う宿である」とまで形容した。

さらに山形県の赤湯温泉では、置賜地方を「エデンの園」と称え、

その風景を「東洋のアルカディア」と評した。
※アルカディア=ギリシャ神話に出てくる理想の楽園


彼女は、『日本奥地紀行』では当時の日本を次のように書いています。

「私はそれから奥地や蝦夷を1200マイルに渡って旅をしたが、まったく安全でしかも心配もなかった。世界中で、日本ほど婦人が危険にも無作法な目にもあわず、まったく安全に旅行できる国はないと信じている。」

「私は、これほど自分の子どもをかわいがる人々を見たことがない。
子どもを抱いたり、背負ったり、歩くときには手をとり、子どもの遊戯をじっと見ていたり、参加したり、いつも新しい玩具をくれてやり、遠足や祭りに連れて行き、子どもがいないといつもつまらなそうである。」

「いくつかの理由から、彼らは男の子の方を好むが、それと同じほど女の子もかわいがり愛していることは確かである。
子どもたちは、私たちの考えからすれば、あまりにもおとなしく、儀礼的にすぎるが、その顔つきや振舞いは、人に大きな好感をいだかせる。」

「ヨーロッパの多くの国々や、わがイギリスでも地方によっては、外国の服装をした女性の一人旅は、実際の危害を受けるまではゆかなくとも、無礼や侮辱の仕打ちにあったり、お金をゆすりとられるのであるが、ここでは私は、一度も失礼な目にあったこともなければ、真に過当な料金をとられた例もない。群集にとり囲まれても、失礼なことをされることはない。」

「ほんの昨日のことであったが、革帯一つ、忘れものをしていた。
もう暗くなっていたが、その馬子はそれを探しに一里も戻った。
彼にその骨折賃として何銭かあげようとしたが、彼は、旅の終りまで無事届けるのが当然の責任だ、と言って、どうしてもお金を受けとらなかった。」

「彼らは礼儀正しく、やさしくて勤勉で、ひどい罪悪を犯すようなことは全くない。」

「日本の大衆は一般に礼儀正しいのだが、例外の子どもが一人いて、私に向かって、中国語の「蕃鬼」(鬼のような外国人)という外国人を侮辱する言葉に似た日本語の悪口を言った。
この子はひどく叱られ、警官がやってきて私に謝罪した。」

「家の女たちは、私が暑くて困っているのを見て、うやうやしく団扇をもってきて、まる一時間も私をあおいでくれた。
料金をたずねると、少しもいらない、と言い、どうしても受けとらなかった。
彼らは今まで外国人を見たこともなく、少しでも取るようなことがあったら恥ずべきことだ、と言った。」

「吉田は豊かに繁栄して見えるが、沼は貧弱でみじめな姿の部落であった。
しかし、山腹を削って作った沼のわずかな田畑も、日当たりのよい広々とした米沢平野と同じように、すばらしくきれいに整頓してあり、全くよく耕作されており、風土に適した作物を豊富に産出する。
これはどこでも同じである。草ぼうぼうの「なまけ者の畑」は、日本には存在しない。」

「どこでも警察は人々に対して非常に親切である。
抵抗するようなことがなければ、警官は、静かに言葉少なく話すか、あるいは手を振るだけで充分である。」

「警察の話では、港に2万2千人も他所から来ているという。
しかも祭りに浮かれている3万2千の人々に対し、25人の警官で充分であった。
私はそこを午後3時に去ったが、そのときまでに一人も酒に酔ってるものを見なかったし、またひとつも乱暴な態度や失礼な振舞いを見なかった。
私が群集に乱暴に押されることは少しもなかった。
どんなに人が混雑しているところでも、彼らは輪を作って、私が息をつける空間を残してくれた。」

「私はどこでも見られる人びとの親切さについて話したい。二人の馬子は特に親切であった。
私がこのような奥地に久しく足どめさせられるのではないかと心配して、何とか早く北海道へ渡ろうとしていることを知って、彼らは全力をあげて援助してくれた。
馬から下りるときには私をていねいに持ち上げてくれたり、馬に乗るときは背中を踏み台にしてくれた。
あるいは両手にいっぱい野苺を持ってきてくれた。それはいやな薬の臭いがしたが、折角なので食べた。」

「私の宿料は《伊藤の分も入れて》一日で三シリングもかからない。
どこの宿でも、私が気持ちよく泊れるようにと、心から願っている。
日本人でさえも大きな街道筋を旅するのに、そこから離れた小さな粗末な部落にしばしば宿泊したことを考慮すると、宿泊の設備は、蚤と悪臭を除けば、驚くべきほど優秀であった。
世界中どこへ行っても、同じような田舎では、日本の宿屋に比較できるようなものはあるまいと思われる。」

「誰の顔にも陽気な性格の特徴である幸福感、満足感、そして機嫌のよさがありありと現れていて、その場所の雰囲気にぴったり融けあう。
彼らは何か目新しく素敵な眺めに出会うか、森や野原で物珍しいものを見つけて感心して眺めている時以外は、絶えず喋り続け、笑いこけている」

「しばらくの間馬をひいて行くと、鹿皮を積んだ駄馬の列を連れて来る二人の日本人に会った。彼らは鞍を元通りに上げてくれたばかりでなく、私がまた馬に乗るとき鐙をおさえてくれ、そして私が立ち去るとき丁寧におじぎをした。このように礼儀正しく心のやさしい人びとに対し、誰でもきっと好感をもつにちがいない。」

「伊藤は私の夕食用に一羽の鶏を買って来た。ところが一時間後にそれを絞め殺そうとしたとき、元の所有者がたいへん悲しげな顔をしてお金を返しに来た。彼女はその鶏を育ててきたので、殺されるのを見るに忍びない、というのである。こんな遠い片田舎の未開の土地で、こういうことがあろうとは。私は直感的に、ここは人情の美しいところであると感じた。」

~~~~~~~~~~~~~~~~~~

バードは、朝鮮を1894年に訪問しています。
釜山、ソウルに滞在した後、漢江流域を踏査し元山へ、そして同年11~12月にはロシア領内の朝鮮人社会を視察した。
そこで「朝鮮奥地紀行」を著します。
当時の朝鮮は、日本が統治する以前、李氏朝鮮末期の時代にあたります。

「朝鮮人には猜疑、狡猾、嘘を言う癖などの東洋的な悪徳が見られ、人間同士の信頼は薄い。女性は隔離され、ひどく劣悪な地位に置かれている。」

「政府、法律、教育、礼儀作法、社会関係そして道徳における中国の影響には卓越したものがある。これら全ての面で朝鮮は、強力な隣人の弱々しい反映に過ぎない。」

「私は北京を見るまではソウルを地球上でもっとも不潔な都市、また紹興(中国浙江省北部の県)の悪臭に出会うまではもっとも悪臭のひどい都市と考えていた。
大都市、首都にしてはそのみすぼらしさは名状できない程ひどいものである。」


「礼儀作法のために、二階家の建造が禁じられている。
その結果、25万人と見積もられている人びとが“地べた”、主として迷路のような路地で暮らしている。
その路地の多くは、荷を積んだ二頭の雄牛が通れないほど狭い。
実にやっと人ひとりが、荷を積んだ雄牛一頭を通せる広さしか無い。
さらに立ち並んでいるひどくむさくるしい家々や、その家が出す固体や液状の廃物を受け入れる緑色のぬるぬるしたドブと、そしてその汚れた臭い縁によって一層狭められている。」

「ソウルには美術の対象になるものが何も無く、古代の遺物ははなはだ少ない。
公衆用の庭園も無く、行幸の稀有な一件を除けば見せものも無い。
劇場も無い。
ソウルは他国の都市が持っている魅力をまるで欠いている。
ソウルには古い時代の廃墟も無く、図書館も無く、文学も無い。
しまいには、他には見出せないほどの宗教に対する無関心から、ソウルは寺院無しの状態で放置されている。
一方、未だに支配力を維持しているある種の迷信のために、ソウルには墓がないままにされている。」

「ミラー氏と召し使いが綱を強く引っ張っている時、私はしょっちゅう川岸沿いに独りぼっちで、2時間か3時間ぶらついていた。
その小道が淋しい所かまたは村に通じていようがいまいが、私は、ひどく躾の悪い遣り方で示された好奇心以上の不愉快なものには、一度も出会わなかった。
そしてそれは、主として女性によるものであった。」

「その肩に税の重荷が掛かっている人びと、つまり特権を持たない厖大な大衆が、両班にひどく苦しめられているのは、疑いない事である。
両班は代金を支払わないで、人びとを酷使して労働させるばかりでなく、さらに貸し付け金の名目で、無慈悲に強制取り立てを行なっている。
ある商人か農夫がある程度の金額を蓄えたと噂されるか知られると、両班または役人が貸し付け金を要求する。」

「女の人たちと子供たちは山のようになって、私の寝台の上に坐った。
私の衣服を調べた。
ヘアピンを抜いた。
髪を引き下ろした。
スリッパを脱がした。
自分たちと同じ肉や血なのかどうか見るために、私の着物の袖を肘まで引き上げて、私の腕を抓った。
私の帽子を被ってみたり、手袋を嵌めてみたりしながら、私のわずかばかりの持ち物を詳しく調査した。」

「長安寺から元山への内陸旅行の間、私は漢江の谷間でよりも、朝鮮の農法を見る良い機会に恵まれた。
日本のこの上なく見事な手際のよさと、中国の旺盛な勤勉に比べて、朝鮮の農業は無駄が多く、だらしない。」

「朝鮮では、私は朝鮮人を人種の滓と考え、その状況を希望の持てないものと見做すようになっていた。」

「私は出発する前に、無感動できたなく、ぽかんと口を開け、貧しさにどっぷり浸っている群集に包囲されて、宿屋の中庭のごみ、むさ苦しさ、がらくた、半端物の真ん中でじっとしていた。
朝鮮人は見込みのない、無力で哀れな痛ましい、ある大きな勢力に属している単なる羽に過ぎない、と感じた。」

「もしある人が小金を貯めた、と伝えられると、役人がその貸与を要求する。
仮にその要求を承諾すると、貸し手は往々にして元金または利息に二度と会えなくなる。
もしその要求を拒絶すると、その人は逮捕され、破滅させるために捏造されたある種の罪で投獄される。
そして要求された金額を差し出すまで、彼か親類の者が鞭打たれる。」
(これって、いまの日本?!)

「狭量、千篇一律、自惚れ、横柄、肉体労働を蔑む間違った自尊心、寛大な公共心や社会的信頼にとって有害な利己的個人主義、二千年来の慣習や伝統に対する奴隷的な行為と思考、狭い知的なものの見方、浅薄な道徳的感覚、女性を本質的に蔑む評価などが朝鮮教育制度の産物と思われる。」

「朝鮮の大きくて普遍的な災難は、大勢の強壮な男たちが、少しましな暮らしをしている親類か友人に頼るか“たかり”に耽る習慣である。
それを恥としないし、非難する世論も無い。
少ないけれども一定の収入がある人は、多くの親類、妻の親類、大勢の友人、親類の友人たちを扶養しなくてはならない。」

「1897年の明確に逆行する動きにも拘わらず、私はこの国の人びとの将来に希望が無いとは決して思わない。だが、次の二つの事が非常に重要である。
1、朝鮮は、内部からの改革が不可能なので、外部から改革されねばならない事。
2、君主の権力は、厳しくて永続的な憲法上の抑制の下に置かねばならない事。」

~~~~~~~~~~~~~~~~~~

バードは1895年12月に上海に渡ります。
上海から揚子江を万県まで遡り、さらに陸路を保寧府、成都まで進んだ。
彼女は、中国社会の活力と公正さを高く評価しるけれど、それは“最悪”の朝鮮社会を見た直後だったからかもしれない。

「中国人は無学であるし、信じがたいほど迷信深い。だが、概していえば、いろいろな欠点はあるにしろ、ひたむきさという点では他の東洋民族にはないものがあるように思われる。」

「〈文人階級〉の多くの人々の無知さ加減はひどい。
それは宿坊での会話の中にとめどもなく現われてくる。
軍のある高官は、劉を頭とする黒旗軍が台湾から日本人を駆逐したとか、劉が神々に誓った誓いと祈りが功を奏して台湾海峡が大きく口を開いたとか、ロシア、イギリス、フランス、日本の海軍が戦渦に広く巻き込まれ、やられてしまったとか言って憚らなかった」

「中国で仁が重んじられているという印象は日常生活からはさほど受けない。
中国人の性格に関するこの国での一般的な見解は、冷酷、残忍、無慈悲で、徹底して利己的であり、他人の不幸に対して無関心であるというものである。」

「彼女たちの質問はまことに軽薄だったし、好奇心は異常なまでに知性を欠いていた。
この点で日本人の質問とは好対照だった。
ここには、していることに目新しさも多様さもなく、食べることと書くことだけをしている人間を何時間にもわたってジロジロ見ることに費やすという、大人としての異常なまでの無神経さが見てとれた。」

「群集はどんどん増え、囃し立てたり怒鳴ったりして、どんどんやかましくなった。
口々に『洋鬼子』、『外国の悪魔』とか『吃孩子(子供食い)』と叫ぶ声がどんどん大きくなり、怒号と化していくのがわかった。
狭い通りはほとんど通れなくなった。
私が乗った車は、何度も何度も棒で叩かれた。
泥や嫌な臭いのするものが飛んできて命中した。
ほかの連中よりも大胆なのか臆病なのかわからないが、一人の身なりのよい男が私の胸を斜めに強打した。
叩かれたところはみみず腫れになった。
後ろから両肩を強打する連中もいた。
わめく輩は最悪だった。
激昂した中国の暴徒だった。」

「信じられないような汚さ、古期英語を用いないと表せないようなひどい悪臭、薄汚なさ、希望のなさ、騒がしさ、商売、そして耳障りな騒音は中国の都市に共通する特徴である」

「中国の町のごろつき連中は、無作法で、野蛮で、下品で、横柄で、自惚れが強く、卑劣で、その無知さ加減は筆舌に尽くせない。
そして、表現することも信じることもできないような不潔さの下に暮らしている。
その汚さといったら想像を絶するし、その悪臭を言い表せる言葉は存在しない。
そんな連中が日本人を、何と『野蛮な小人』と呼ぶのである!」

「トルコやペルシャ、カシミール、朝鮮を、私のように数年にわたって旅したことがある人なら、中国の人々が虐げられた国民などではさらさらないことがわかって驚くことになる。
また、現制度下にあってさえ、賄賂はあるものの税は軽く、働けば金になり、理にかなった自由もかなりあることがわかって驚くことになる。」

「大勢の薄汚い役人が何もせずにぶらぶらしているといったことはなかった。この点は朝鮮とは異なっていた。」

「飛び道具は手近にいくらでもあった。石の一部は轎や轎かきに当たったし、私の帽子にも当たって帽子が飛ばされてしまった。
『外国の悪魔』とか『外国の犬』という叫び声のすさまじさといったらなかった。
石が轎めがけて雨霰のように投げつけられた。
そして一つの大きな石が私の耳の後ろに命中した。このひどい一撃によって、私は前に倒れ込み、気を失ってしまった。」

「病気の苦力は木の下に横たえられた。
そこで私はその男の燃えるような額に濡れたハンカチを当ててやった。
その時、中国人の潜在的な残虐性が現われた。
あの実に愛らしい創造物である観音が広く崇拝されているのに、この連中には何の感化も及ぼしていないことがわかった。
何も運んでいない苦力が5人いたので、一匹のラバの荷物を5人で分け合い、病気の男をラバに乗せるように提案してみたけれど、拒絶したのである!
この12日間、寝食をともにしてきた男なのに、である。
しかも、お前達はこの男をここに置き去りにして死なせるつもりかと尋ねると、彼らはせせら笑いながら、『死なせればいい。もう何の役にも立ちませんぜ』とのたまった。
病気の男が懇願した水が目と鼻の先にあったにもかかわらず、それをやろうとさえしなかった。」

~~~~~~~~~~~~~~~~~

最後に、ペリー提督の日本評をひとつ。

「日本人は自分の祖国に対しては感激家で、先祖の偉業を誇りとしている。

教養ある人も普通の人も天皇の古い皇統に対し限りない愛情を抱き、古い信仰や風俗習慣を重んじる。

それゆえ外国人が、日本人の民族性に追従し、彼らの宗教や風俗習慣を尊重し、そして原始時代の伝統や神として崇められた英雄の賛美に好意をもって耳をかたむける。」


≪おまけ≫
「日本人は笑い上戸で、心の底まで陽気である。
日本人ほど愉快になりやすい人種は殆どあるまい。
良いにせよ悪いにせよ、どんな冗談でも笑いこける。
そして子どものように、笑い始めたとなると、理由もなく笑い続けるのである。」
(仏人、ボーヴォワル)



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2014年1月31日金曜日

日光讃歌(75)奥鬼怒山旅 「金精峠から」







日光讃歌(75)奥鬼怒山旅 「金精峠から」




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金精峠から湯元



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金精峠付近の紅葉





奥日光の行き止まりが金精峠であり、この山域の特徴ある山が「金精山」である。
“金の精“というのは、特に男にとっては気になる名称ではあるが、確かに、これらに因んだ曰く因縁があるらしい。

金精トンネルの登山口から金精峠へ達する。 
この峠は、下州(栃木)と上州(群馬)を結ぶ峠であり、山域としては温泉ヶ岳と金精山との鞍部にあたるところで、元より、日光山の修行僧達が夏峰修行の路として開かれたと言われる。

峠には、小さな社の金精神社が祀られていて、曰く有りげな名前のように思えたが、驚く無かれ男根を御神体とするらしい。
金精神社の由来は、「生きた金精様」 といわれていた怪僧・道鏡の巨根にあるとという伝説がある。




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金精山(後方)と金精神社

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  金精神社


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御神体です・・!、





奈良時代、女帝の孝謙天皇は巨陰であったため並の男根では満足できなかった。 
そのため、孝謙天皇は巨根の藤原仲麻呂(恵美押勝)を重用していたが、道鏡の修法により病気が治ると更に巨根である道鏡を寵愛するようになった。
しかし、孝謙天皇の崩御後、道鏡は皇位を窺った罪で下野薬師寺別当に左遷されてしまう。

大きく重い男根を持つ道鏡にとって、下野薬師寺までの旅は過酷なものであり、特に上野国(群馬県)より下野国(栃木県)への峠越えはとても厳しいものであった。
道鏡はあまりにも自分の男根が大きく重かったため峠で自分の男根を切り落としてしまったとも、孝謙天皇に捧げるつもりで峠で自分の男根を切り落としてしまったともいわれている。 
その切り落とした道鏡の男根を「金精様」として峠に祀ったのが、金精神社の始まりとされる。

道鏡の巨根伝説は根強く、江戸時代には「道鏡は すわるとひざが 三つでき」という川柳も詠まれたという。  又、「道饗」と「道鏡」が混同され、道祖神と結びつけられたために成立した、という意見もある。
この不思議な神様は、道を守る神=道祖神としての機能の他、子孫繁栄、五穀豊穣、家庭円満、招福などさまざまな要素があると信じられている。

尚、この巨根の持ち主であった道鏡は、奈良後期の高僧で、天皇の地位を奪おうとした「道鏡事件」でも有名である。







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2014年1月29日水曜日

日光讃歌(74)日光白根山  「活火山」






日光讃歌(74)日光白根山  「活火山」




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http://www5f.biglobe.ne.jp/~teen2/ski/080911sirane/CIMG5220.JPG



山頂付近は、山頂部はもとより火口と思しきものが4~5ヶ所位見受けられ、その激しさを物語っている。

二荒山神社の記録によれば、1649年(慶安2年)に大噴火をおこし山頂にあった社殿が崩壊したともされている。

無論、白根山は火山の山で、約5300 年前以降に、周辺に堆積物を残すような噴火が少なくとも4回以上発生しているといい、記録に残るものでも1649(慶安5)年、1872(明治5)年、1873(明治6)年、1889(明治22)年、1890(明治23)年、1952(昭和27)年、1993(平成5)年と暴れ放題であって、今に残る現況が、五色沼や弥陀ヶ原が白根山の火口湖の証なのである。



白根山の山頂に至る主な登山道は、日光湯元温泉から外山尾根・天狗平・前白根山を経由するもの、菅沼から弥陀ガ池を経由するもの、金精峠から五色山・弥陀ガ池を経由するものが挙げられる。

近年は麓の丸沼から日光白根山ロープウェーで標高2000m付近まで行けるようになり、比較的楽に登れるようになった。




日光市内の2000m以上の山
白根山:2,578m、 男体山:2,484、 女峰山:2,464、 錫ヶ岳(すずがたけ):2,388、 大真名子山:2,375、 前白根山:2,373、 太郎山:2,368、 温泉ヶ岳:2,333、 小真名子山:2,323、  金精山:2,244、  山王帽子山:2,077、 於呂倶羅山(おろぐらさん):2,020 赤薙山(あかなぎさん):2,010m


次回、 「奥鬼怒の山旅」








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【山行記】

《山の紀行・記録集》
「山行履歴」   「立山・剣岳(1971年)」   白馬連峰登頂記(2004・8月)   八ヶ岳(1966年)   南ア・北岳(1969年)   南ア・仙丈ヶ岳(1976年)   南アルプス・鳳凰三山   北ア・槍-穂高(1968年)   谷川岳(1967年)   尾瀬紀行(1973年)   日光の山々   大菩薩峠紀行(1970年)   丹沢山(1969年)   西丹沢・大室山(1969年)   八ヶ岳越年登山(1969年)   奥秩父・金峰山(1972年)   西丹沢・檜洞丸(1970年)   丹沢、山迷記(1970年)   上高地・明神(2008年)

《山のエッセイ》
「山旅の記」   「山の歌」   「上高地雑感」   「上越国境・谷川岳」   「丹沢山塊」   「大菩薩峠」   「日光の自然」